石州左官とは

石州左官を知る

石州左官?

石州左官は明治、大正、昭和の日本近代建築の多くに携わった。個人の持つ類まれな技術に加え、リーダーとしての素質も兼ね備えていたため、石州左官たちは、当時の左官職人の間でも有名な存在であった。まさに近代建築を支えてきたといっても過言ではない。
彼らはお寺やお宮に、家内安全や無病息災などの願いを込めたを鏝絵を奉納した。その作品は今でも各地に残されており、見事な出来栄えという言葉に尽き作品ばかりである。


石州左官の広がり
石州左官の名が広く知られるようになったのは、明治に入ってからのことである。石見地域は山々が海岸線まで迫っており、大きな平野もなく、狭い耕地面積、小さな入り江しかないため、農業、漁業やその他の産業にとっても、生きていくことがきわめて厳しい地理的、経済的な環境であった。そういった状況下で石見銀山が下火になったことを機に、彼らが活躍の場を外に求め、各地へと広がっていった。


石州左官の技
石州左官は、明治、大正、昭和の日本近代建築の多くに携わった。中でも着工から竣工に17年を費やした「国会議事堂」、昭和の建築物として1997年に初めて国の重要文化財に指定された「明治生命館」など有名な建物の建築に多くの左官職人が関わっている。
彼らは仕事を教えてもらうのではなく、自ら学び、聞いて、身体に技術を叩き込んだ。現場においては、個人の腕の確かさに加えて、集団で一気に仕上げることが要求され、リーダーとしての素質も必要であった。そうした要素を兼ね備えた「石州左官」たちは、大手建設会社から高い評価を受けていた。中国の長春市には戦前の建物が残っており、もしかしたら中国全土にも石州左官足跡が残っているかもしれない。