松浦 栄太郎(まつうら えいたろう) 1885~1945

  • 松浦栄吉の長男。東京の父のもとで、「一人前になるまでは、親子の縁を切る」と言われ、かなり厳しい修業をしていた。兵隊検査の通知を受けたときも、修業中の彼は考え抜いた上で仕事に命を懸けようと中国の営口に逃亡した。しかし、逃亡中も大森の裁判所から度々呼び出しがきていた。26、7歳の頃、自首して浜田ニ十一連隊に入隊した。<松浦式人造>(洗い出し、研ぎ出し)を考案し、左官業界の発展に貢献した。彼も彫刻を得意としており、ソウルの東洋拓殖株式会社の社屋に月桂樹の彫刻を施した。ちなみに他の職人の日当が1円7,80銭のとき、彼は3円50銭もらっていたということから、相当の腕利きの左官職人だったということがうかがえる。


鏝なみはいけん
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