前田 勝義(まえだ かつとし) 1912~2002


  • 仁摩町馬路に生まれる。鳥取の義兄に15歳で弟子入りし、3年の修業を積んだ後、山陰はもとより九州や遠くは満州へ武者修行に出かけた。満州で松浦栄太郎の下で働いていたとき、「お前は、人の下でずっと左官をするつもりなら、さっさと荷物をまとめて帰れよ」と言われた。弟子入りした頃は、材料をつくるとこるから徹底して仕込まれ、なかなか壁塗りをさせてもらえなかったようだ。戦後の混乱期に、36歳で単身上京し、真面目な人柄と人一倍の努力と工夫で、大手建設会社から「左官工事なら前田」といわれるほどの信頼を勝ち取り、日本を代表する建物を次々と手がけた。霞ヶ関ビルや帝国ホテルなどの初期の高層建築や最高裁判所、超高層では住友ビルや京王プラザホテルなども彼の仕事であり、最後の仕事は池袋のサンシャイン60だった。彼は野丁場の左官で彫刻とは縁がなかったが、石州左官の気質をよく表した職人だったようだ。



鏝なみはいけんhttp://www.kotenami.jp/index.html
島根県立大学総合政策学部 井上厚史ゼミ3回生 2012年度石州左官・鏝絵調査報告書参照