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石見銀山の発見

 石見銀山の発見は神谷寿禎が発見したされています。

神谷寿禎の発見
 神谷寿禎は九州博多の商人でした。船でたまたま、日本海を横断している時に山が光っているのを発見しました。実際には山肌に露出した鉱石が光を発しているだけでした。「これは何かあるのではないか?」と思った神谷寿禎は、当時、この土地を納めていた領主の大内義隆にこの山を掘らせてもらう許可をもらいに行きます。その結果了解を得た彼は、この山を掘った結果銀が出てきました。これが石見銀山の発見です。この後は寿禎が宗丹慶寿を九州から招き入れ灰吹法を導入して本格的な銀山開発に乗り出していきます。
 と言うのが一般的な石見銀山の発見説です。銀山の発見については『銀山旧記』という書物に記されています。

 しかし銀山旧記にはこれ以外にもいくつか記されています。以下の2つは銀山旧記に記されている伝説的な話です。


推古朝に発見された説
 621年の推古天皇の時代にいまでいう石見地方の仙山がにわかに光っていました。そして山頂に霊妙物が現れたそうです。そのあとすぐに霊妙物は姿を消しました。その霊妙物が現れた後の山頂には池ができたそうです。人々は恐れおののきその山頂の池に向かって崇拝していたそうです。この山が実際に今の石見銀山であったかが定かではありませんが、もしこの山が石見銀山であったなら神から「銀が取れる山である」というお告げであったのかもしれません。

北辰の神の進言よって発見された説
 推古朝説から下ること約700年の1309年周防の国の大名大内弘幸は不思議な夢を見ました。大内家の守護神である北辰の神がいきなり枕元にあらわれて、『石見国仙の山に宝有り、汝銀を取りて外敵を排せよ。』というふうに進言したそうです。当時大内氏は石見地方を治めていたこともありもしかしたら、この山というのが石見銀山であったかもしれません。

 この2つの説はあくまでも伝説であり「実際に銀が出るのか掘ってみた」という記述がないことから、事実かどうかはわかりません。
しかし、もしこの話が本当なら神谷寿禎が発見する以前からから銀山が発見されていたという事になります。