廣田亀治

廣田亀治は天保10年(1839)6月5日、出雲国能義郡荒島村(現在の島根県安来市荒島町)に松江藩の郷蔵番廣田平助の次男として生まれた。亀治は廣田家を継ぐことになっていた。代々廣田家は荒島で百姓をしながら年貢米を大切にしまっておく倉庫の番人をする郷蔵の番人を勤めていた。

亀治は郷蔵の仕事を手伝う一方、二反八畝(28アール)ばかりの田んぼの仕事にも精を出していた。当時、稲熱病といった稲の病で不作であったお米に亀治は「どうして質の悪いお米ばかりなのだろう」と考えるようになり、明治にはいって二反八畝のうちの八畝(8アール)を試作田として品種改良に取り組んだ。そして明治5年、稲の病気にも強く、米の収穫量も多い稲の品種改良に成功した。新品種は地元農家の評判となり、「亀治米」の名で呼ばれるようになる。戦争前後の日本の食料不足を支えた、日本の稲作史に一時代を画す品種となった。

廣田亀治は農業の研究に没頭するため生涯を独身で過ごし、明治29年10月、57歳で没した。
1910年、亀治の死後、農商大臣から稲の品種改良と、広く行き渡ることに努めたことを称えて、賞状と銀杯が贈られた。




                        

                                          廣田亀治の銅像

現在、国鉄荒島駅近く、国道9号線から踏切をわたってきたところに亀治の銅像が建てられている。


参考文献
H21年度 島根県立大学 卒業研究 足立さん
島根県ホームページ/ 公聴広報課/フォトしまね/ 島根県:島根を創った人たち廣田亀治
http://www.pref.shimane.lg.jp/kochokoho/photo/185/6.html